朝戸一聖さん

TANSAN 朝戸一聖さんインタビュー 大好きなボードゲームで楽しく生きる、オモシロスキマ戦略

あなたは「好きなことを仕事にしてみたい」と思ったことはありますか?

好きを仕事にと望んだ瞬間、「好きなことを仕事にできるだろうか」「ご飯を食べていけるだろうか」と、色々な疑問がわいてきます。今回TALでは、そんな夢追い人に贈るインタビュー企画が実現。ボードゲームクリエイターとして10年以上も業界で愛され続けている朝戸一聖さんに、好きなことで成功する秘訣を教えていただきました。それでは朝戸さんの起業からの10年間を紐解いていきましょう。

ボードゲームクリエイター 朝戸一聖さん

ゲームが好きな気持ちがずっと続いている

TAL:今日は宜しくおねがいします。朝戸さんのご実家には色々なゲームがあったそうですね。最初に出会ったゲームは覚えていらっしゃいますか。

朝戸:ゲームボーイのポケモン赤です。僕は小学校2年生ぐらいでした。ド直球世代で、ムーブメントの時に多感な時期を過ごしました。ゲームをやり出したのもこの時からだったと思います。学校の会話もポケモン一色でしたよ。

TAL:ポケモンは流行りましたね!人気のゲームに熱狂した経験があってもそれを職業にする人は少ないものですが、朝戸さんが仕事にしようと思うほどゲームが大好きになったきっかけが何かあったのでしょうか?

朝戸:きっかけというより、子供の頃の「ゲームが好きな気持ち」が今でも続いているんじゃないでしょうか。成長の過程で他に興味が移っていく人も多いですが、僕の興味は変わらなかったんです。多くの方は成長の過程で他に興味がどんどん移っていき、ゲームで遊ばなくなる人も多いです。でも僕には卒業はなくて、ずっと大好きでした。特に任天堂が好きで、NINTENDO64・ゲームキューブ・Wii・Wii U・Nintendo Switchまで、今でもずっと遊んでいます。

TAL:おお、全部デバイス系なのですね。

朝戸:ボードゲームも遊んでいました。親が子供にボードゲームを与える家で、家に普通にあったんです。クルードけいどろ人生ゲームモノポリーとか。だからテレビゲーム、ボードゲームの区別なく遊びました。お正月に家族でボードゲームをしたりと、楽しい思い出がいっぱいです。

ボードゲームの黎明期に学生起業

TAL:そんな朝戸さんがボードゲームの道にかじを切ったのはいつでしたか?

朝戸:大学です。大学生の時に周囲の友人たちを見ていて、「テレビゲームはしているけど、ボードゲームはしていない人が多いな」と気付きました。中・高くらいって、ボードゲームをやりにくくなるんですよ。遊ぼうぜってなっても、たいていテレビゲームです。ボードゲームはダサいという空気も当時はあった気がします。

TAL:中高でTVゲームを選択しがちな空気が大学になると違ったのですか?

朝戸:そう、大学になると違いました。教室にボードゲームを持ち込んで遊んだのですが、これが面白かったんですよ。例えば「スコットランドヤード」、犯人と警察に分かれてやるゲームなのですが、美大の教室に持ち込んで、休み時間や講義がない時は友達とずっと遊んでいました。もう授業をさぼってやるくらいの勢いです。

TAL:それは楽しそうですね。朝戸さんは美大に行かれていたとのことですが、アーティストを目指しておられたのですか?

朝戸:もとは受験勉強をしたくなかったので美大に進みました。僕は常に勝負のないところで生きていこうと思っているので、美大に行くとなれば同級生の中では勉強カテゴリーから外れるわけです。そういう打算的な考えがありました。

僕は美大のプロダクトデザインの学部に入り、ここで商品のアイデア出しを学びます。これが得意だったこともあり、2009年に学生の時によく遊んでいたメンバー3人とTANSANFABRIKというチームを結成しゲームを作りはじめたんです。

2010年大学4年生の時にゲームマーケット (日本最大級のボードゲームイベント)に出品した「ヒットマンガ」は結構売れたので、起業もいけるかなと思って卒業の年の2011年に会社にしました。

『ヒットマンガ』初版
ヒットマンガ
ヒットマンガ
「かるた」がベースのパーティーゲーム。マンガの一コマにピッタリハマるセリフを考え、他の人はどのカードのことかを当てる。瞬発力・推理力・演技力が勝利のカギ。

TAL:私もゲームマーケット2011大阪・春で「ヒットマンガ」を購入しました。長年人気のゲームだったのですね。

朝戸:そうなんです。おかげ様で10年売れ続けていて。こういうワイワイ系のゲームって今はメジャーですが、2010年ごろはまだ珍しくて。当時は日本で遊べるボードゲームの殆どが海外のもので、要するに日本発のゲームがありませんでした。日本のボードゲームが増えたのはここ10年なんですよ。

朝戸さん他、有志による「言葉を使ったゲームの歴史」をまとめた「ワードゲーム年表」によると、2020年には334タイトルが掲載されていた。「ヒットマンガ」は掲載ゲームの中では13番目に誕生した作品であることが分かる。

ワードゲーム年表(有志によるまとめなので把握できていない作品もある)

TAL:日本発のゲームが少ない時代に「ゲームを作る会社」を興されたのですね。

朝戸:そうなんです。2010年頃はボードゲームの黎明期でした。タイミングはめちゃくちゃ大きいですね。うちはアートワークやイラストを作る仕事を主にやっています。ゲームのルールはあって、それを製品に落とし込む仕事なのですが、当時はこれをやっている会社が全然ありませんでした。だからゲームを作りたい人がいたら、その仕事を自分たちが全部やるみたいな感じだったんです。

TAL:「作りたい人のデザインを受ける市場」が空いていた。

朝戸:そうなんです。テレビゲーム業界だと厳しかったと思います。僕はこんな風に、真っ向からぶつかって玉砕するのではなく「常に逃げて生き続ける」をベースにしているんですよ。

見たことのないゲームでドン底を脱出

TAL:朝戸さんは戦う必要のない市場で起業されたとは言え、ご苦労もあったのかと思います。

朝戸:やっぱり甘い考えで起業しでは駄目だったようで。運悪く「卒業したら会社を作ろう」と考えていた時に東日本大震災(3.11)が起こりました。世の中がボードゲームどころじゃない雰囲気になって仕事が全くありませんでした。家賃を滞納したり、安いご飯で生きるということで、日々もんじゃ焼きを作って食べました。もんじゃ焼きはキャベツ・水・小麦粉・ソースがあればできて、時間をかけて食べるものなので満腹中枢が刺激されてお腹がいっぱいになるわけです。

TAL:おお。辛い期間はどれくらい続きましたか?

朝戸:最初の1年はキツくて、2年目もやっぱり吹けば飛ぶような感じでやっていましたが、ゲームマーケットの関係者から仕事を少しずついただけるようになりました。

TAL:その頃の思い入れのあるゲームを教えてください。

朝戸:2012年の「ファブフィブ」日本語版ですね。これを評価していただいたことでお仕事が増えました。海外のボードゲームを日本で発売する場合、単に日本語に直しただけのものを発売するのが主流でしたが、「ファブフィブ」はイラストやパッケージングを全て日本向けに作りなおしました。

例えば、ヒットポイント的な指標である「ライフカウンター」や、死神が追ってくる仕掛けを加えました。またイラストやキャラクターには、当時の輸入ゲーム特有の古い絵本のような空気感とは全く違う「ポップな空気感」を持たせました。今までのボードゲームには無い演出をしたんです。しんどい時期に一発目立つぞ!と意気込んでいたこともありますし、日本のボードゲームも海外と遜色ないものが作れると皆に思ってほしかったというのもあります。

TAL:誰も見たことのないゲームを生み出そうとしたことに感動しました。このゲームをきっかけにお仕事の幅が広がりはじめたのですね。

現在販売されているのは2版の「ファブフィブ」。初版はキャラメル箱で作られていた。
ファブフィブ
ファブフィブ
大胆なハッタリ合戦を繰り広げる「数字当てゲーム」。隣の人が持っているカードの数字が本当なのか嘘なのか?を探り合う。簡単なルールなのに大盛りあがりできるパーティーゲーム。

コンプレックス人狼ができたワケ

TAL:朝戸さんは2013年には「人間ゲーム コンプレックス人狼」を出されていますね。ゲームの共同制作者である株式会社人間さんは大阪のweb制作会社ですが、こうしたお仕事のご縁はどうやって作ってこられたのですか?

株式会社人間のコンセプトメッセージ

朝戸:僕が「人間ゲーム」という名前のゲームを思いついたことが始まりでした。「人狼ゲーム」が当時流行っていたので、その反対で人間ゲームはどうかと。それで人間さんのホームページのフォームから「人間ゲームを考えたので一緒に作りましょう!」と連絡をしたんですよ。そんなのが来たら追い返されそうなものですが、一度来てくださいと言ってもらえて。でも、最初に持って行ったゲームが全然面白くなくて「いやー、これダメちゃう?」みたいな感じになったんです。

TAL:ええぇ。でも発売できた!

朝戸:そうなんです。その後、人間さんに遊びに行って彼らをよく観察していると、ある日「レッテル祭り」が開かれました。立食パーティーなのですが参加者に「仕事ができなさそう」とかレッテルを貼っていくわけです。ひどい話ですよね。でもこれが人間さんの持ち味だと思いました。それで生まれたのが悪口を言った犯人(人狼)を探し出す「人間ゲーム」です。

実際のレッテル祭りの様子(株式会社人間提供)

その後「人間ゲーム」はSCRAP(リアル脱出ゲームで有名な会社)さん主催の、次に来るゲームを決めるイベント「ツギクルGAMEナイト」で2位に選ばれました。1位はコロプラさんのゲームで、2位とは僅差でした。イベントで唯一のアナログゲームだったことや、他の作品がジョジョの奇妙な冒険のゲームやソニー・バンダイさんのゲームだったこともあり「人間ゲーム」は話題になりました。このあたりから多くの企業さん・作家さんとお仕事をさせていただけるようになりました。

山積みの「コンプレックス人狼」@ゲームマーケット大阪2021
コンプレックス人狼
コンプレックス人狼
人狼ゲームがベースの、パーソナルな情報で盛り上がる新しいコミュニケーションゲーム。お互いのコンプレックスと会話をヒントに、悪口を言った犯人(人狼)を探し出す。

「ゲームの側」を作る人として有名になる

TANSANでは企業案件のゲームを多数制作している

TAL:「人間ゲーム」が話題になった後は多くの企業さんとボードゲームを制作されたということですが、コラボ先と出会うコツがあるのでしょうか?

朝戸:僕から積極的に営業はしておらず、向こうから声を掛けていただくことが多いです。他にボードゲームの制作会社が少ないことは大きいと思います。また、声を掛けていただいたら断らずにやっていたこともあるかもしれません。ゲームはそもそも面白いから、どの仕事もやりがいがあって断るような案件が無いというのも正直な気持ちです。

TAL:なるほど、勝てるところで起業するのがとても大切なのですね。企業案件で思い出深い作品を1つ教えていただけますか?

『おっとっトランプ』。現在は販売されていない。

朝戸:2016年、森永さんの「おっとっと」を使って遊ぶ『おっとっトランプ』です。お菓子そのものが面白いので、遊び方を1つに絞るのがもったいないと思ってしまい、沢山の遊び方ができるゲームを企画しました。遊び方の数は意味のある数字をということで5個(ぎょこ)か50個(ぎょじゅっこ)で悩み、50個に決めました。

TAL:5個と50個では作業の手間が10倍違いますね。

朝戸:ね、違いますよね。その時はハイになっていたんじゃないでしょうか。ありますよね、そういうハイになる瞬間って。一緒に制作していた電通さんのオフィスでひたすら作るのですが、やっぱりゲームルールを50個作るのは死ぬほど大変で「5個にしておけばよかった」!と何度も後悔しました。こうして「遊ぶたびにおっとっとを一袋あける」ゲームができました。

TAL:電通さんもお問い合わせからのお付き合いなのですか?

朝戸:そうです。電通さんから電話をいただきました。業界内で、ゲーム用のアートワークや、「ゲームの側」を作るのが得意な人という感じで口コミをしていただいているからのようです。

TAL:なるほど、なるほど。好きなことと学んだことをかけ合わせること、勝てる場所を探すこと、常識を超えたアウトプットを出そうとする姿勢、ニッチな業界で有名になること。朝戸さんが10年以上にわたり活躍されている理由を垣間見ることができました。今日はありがとうございました!

次回「ゲームアイデアを次々と着想できる、タノシイルールの法則」に続く